Together Through Life

 

闘争領域の拡大

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ミシェル・ウエルベック著、中村佳子訳『闘争領域の拡大』読了。ウエルベックの処女小説。
ここで言われている「闘争領域」とは自由と資本主義の名のもとに繰り広げられるこの競争社会のことだ。勝者はすべてを得、敗者はすべてを失う。生まれるのは経済格差、そしてセックス格差。主人公「僕」はどちらの領域においても(完全にではないが)勝者の側にいる。なのに「僕」は絶望的な眼差しで社会を観察する。特に醜く、完全にセックス面において負け組のティスランを子細に観察し、同時に自身も精神を病んでいく。それは「僕」がそもそも「闘争」=「人生」を憎み、さらには経済格差、セックス格差のその先にある「愛」を決して手に出来ないから。「僕」は「愛」の存在を知っていて、観測できる。でも、闘争領域をさらに拡大しないと「愛」は手に入らないし、「僕」にはそれが出来ない。
ウエルベックは人間が生きること=闘争をニヒリスティックに笑い、それでも「愛」を観測し、それを得るためには闘争領域を拡大するしかないと、メビウスの輪のような悲喜劇としてこの社会を描く。それをどう受け取るか。ここで、どうやって生きていくか。この現代社会に生きている全員にとって、「僕」は他人ではない。

 

地下鉄道

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コルソン・ホワイトヘッド著、谷崎由依訳『地下鉄道』を読んだ。
時代は19世紀前半、舞台はアメリカ南部となれば、描かれるのは必然的に奴隷制度となる。当時、逃げる奴隷を支援する地下組織として「地下鉄道」は実際にあり、ただこの物語はその逃亡手段として本当に地下を走る鉄道があったならというフィクション。
奴隷に対する仕打ちは読んでいて気分が悪くなるほど劣悪で、奴隷狩り人から逃げる道は過酷だ。それでも、逃げる。自由を求めて。
もちろん小説だから全てが史実に基づいているわけではない。けれど、描かれる様は迫真に迫る真実だ。そして、そこに迫ることによりアメリカという国の土台を揺るがし、普遍的なメッセージを問いかける。なぜ、「それでもなお、われらはここにいる」のかと。
まさにアメリカでしか描かれ得ない文学。素晴らしい。

 

プレイバック

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レイモンド・チャンドラー著、村上春樹訳『プレイバック』を読んだ。
チャンドラーが書いたフィリップ・マーロウシリーズの第7作にして最終作。しかも完成された作品としては、チャンドラーの遺作となる。前年に妻を亡くした、チャンドラー70歳の著。
だからだろうか。マーロウがこれまで読んだ作品と比べて、ヤワではないとしてもタフではない。警察への接し方もそうだし、なんだかすぐに女性と寝ちゃうし。ちょっとイメージと違ったなぁと思っていると、訳者も同じような印象を抱いていたようで。
とはいえ、相変わらずの洒脱な台詞と急展開(プロットの曖昧さとも言う)で楽しんで読める。
で、あの決め台詞。

If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

これを村上春樹がどう訳したかは書かないけれど、確かにこの物語の中で浮いちゃっているような印象もあるこの台詞を、上手く流れに乗せられている訳だと思う。って、この台詞が決め台詞、名台詞として独り歩きしちゃってるのって日本だけらしいけれど。

村上春樹によるフィリップ・マーロウシリーズの新訳も残すところ『the lady in the lake』のみ。で、もう出てる。これまで長い間楽しんで読んできた新訳シリーズだけに、もうちょっとこの『プレイバック』の余韻を楽しんでから最後のお楽しみに取り掛かろうと思う。

 

東の果て、夜へ



ビル・ビバリー著、熊谷千寿訳『東の果て、夜へ』を読んだ。カッコいい題名だなぁと思ったらこれは邦題で、原題は『DODGERS』らしい。
ロサンゼルス郊外の街で麻薬の密売所の見張りをする黒人少年イーストが、仲間とも言えない3人と遥か東へと旅するロードノベル。はたまたその目的が殺人だというクライムノベル。そういった中で描かれる少年の成長譚。重層的に描かれる世界は圧巻であり、主人公の名前、原題に込められたこれまた重層的な意味合い(DODGE=避ける、身をかわすあるいはDODGERS=白人の好きなメジャーリーグ球団)、始まりの地と辿り着いた場所で繰り広げられる「銃撃戦」の対比。
著者はこれがデビュー作らしいけれど、緻密に計算され、配置された構成は見事だと思う。「ミステリー最高峰」とかいう売り出し文句もあるけれど(ミステリーとして読むと確かに拍子抜けする人もいるだろうし)、そういったジャンルを超え、いやあらゆるジャンルをも内包した重厚な作品。

 

母性のディストピア

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おそらく今年最後の読書、宇野常寛『母性のディストピア』読了。いやぁ、長かった。
帯に「アニメが描いた戦争と性」とあるように、構成的には戦後アニメーションの巨人、宮崎駿、富野由悠季、押井守の作家論が大半を占めるが、著者が最も言いたいことは第6部「政治と文学の再設定」にある。というか僕の興味もそこ(批評が具体的に現代社会に対してどういった力を持ち得るか)にあった。
長すぎた「戦後」における護憲/改憲の両者ともに見られる欺瞞、それ故のアイロニカルなふるまいとその限界。それこそが母性のディストピアであり、虚構からそこを突破しようとした三者三様の失敗がまず描かれる。そして、ネットワークの時代に入ってヘイトスピーカーやネトウヨといった矮小な父を大量に生み出してさらに肥大化する母性のディストピアを、ではどう突破していくか。
東浩紀はその突破口として家族を、不能の父を提示した。本書内で過去の知の巨人たちを批判してきた宇野常寛はこの第6部では東浩紀も批判し、自身の突破口として兄弟を、中間の存在を置く。
少し驚いた。『ゲンロン0 観光客の哲学』での東の提案に共感した僕はもちろん、当然提案した東すらももはや批評の世界では老い始めているのではないか。「不能の父であること」は強大過ぎる母性のディストピアからのある種の逃げなのかも知れない。
宇野常寛の展開は確信に満ち、母性のディストピアに覆われたどうしようもないこの世界に対峙してやろうという勢いが感じられる。が、やはり具体的提案そのものはまだあやふやな感が否めない。彼が主宰し、現実に展開しているアプローチが、今後時代に対してどのように有効性を持っていくのかを見守りたい。

 

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