Together Through Life

 

何者



朝井リョウ『何者』を読んだ。直木賞受賞作。
桐島、部活辞めるってよ』でも感じたけれど、まずこの著者、構成力と展開力、人物造形とそれを表現する文章力がすごく巧い。『桐島、部活辞めるってよ』ではまだ少し繊細に過ぎると感じたけれど、本作ではその絶妙な描写(特に後半のどんでん返しのパート)の迫力は、それまでの誘導力も相乗して、読者に寒気すら感じさせる。
主要登場人物は就職活動に勤しむ大学生5人。全員がツイッターなどのSNSをやっていて、そのプロフィールやつぶやきの描写で見事にキャラクターを(少しステレオタイプではあるが)立ち上がらせる。海外留学やボランティア、TOEICや個人名刺などあらゆる武器を手に就活に立ち向かう子もいれば、就活になど興味がなくとにかく周りと同じ行動をすることに嫌悪感を示す振りをして思想書を読みふけったりコラムを書いたり人脈を広げたりしながらコソコソと就活する子もいれば、持前の明るいキャラクターでそれほど武器を手にすることもなく内定をもらうバンドのボーカルもいれば、就活に夢を追うことを諦め家族という現実のタグを背負って生きていくことを決意する子もいれば、大学を中退して自分の劇団を立ち上げて放送作家などと知り合いながら新しい企画や舞台を更新し続ける子もいれば、彼ら全員を俯瞰で眺め彼らの足掻きや「想像力」の欠如を嘲笑しながら自身はあくまでも観察者としての立ち位置に徹する主人公がいる。
就活という舞台設定ながらアラフォーの僕らが読んでも巧みに誘導され、誘導された場所でぐさりぐさりと刺されたり投げ飛ばされたりするもんだから、堪らない。
朝起きて、ツイッターを開く。今日もどこかで誰かがどうでもいいことをつぶやいてるのを見て「くだらね」と思い、今日もどこかで誰かが誰かを批判しどこかが炎上しているのを見て「イタいな」と笑う。でも、そんな僕らは「何者」?自分では「観察者」だと思っている。でも、「観察者」って「何者」かになりたいのに「何者」にもなれずにでも自分はあいつらとは違うって自身に思い込ませている一番「イタい」人なんじゃないの?「何者」かになりたくて精一杯の背伸びをしてようがSNS上で自身のプロフィールを誇張しながらもいつか「何者」かになってやるって足掻いている人は、確かに「イタい」けれど、「観察者」(ぶっている人)よりは断然「生きてる」んじゃないの?
僕たちは自分が「何者」でもないのを知っている。だからいつか「何者」かになろうと足掻きながらそれを見られるのが怖いし「何者」でもないことがバレることも怖くてSNSで自身を誇張する。結局足掻く人も、観察者も同じく「何者」でもない。要は足掻いて誇張しているか、人を見下して観察者ぶっているかだけの違いだ。
今僕たちは「何者」でもない。きっとずっと「何者」かにはなれないかも知れない。だったら、SNS上で誇張したり「観察者」ぶったりしないで、現実世界で今の自分を見つめ、そこに立って、足掻いているいるしかない。見られたっていいじゃないか。
頭をガツンと殴られたような迫力に満ちたクライマックスのあとの無理矢理前向きにしたようなラストは必要なかったかもしれないけれど、SNSの登場で人が生きていく上でさらに取り繕ったり誇張したりする必要性に駆られる世の中で、就活世代に限らず幅広い世代を投げ飛ばせる衝撃作だと思う。
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