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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年



村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅』を読んだ。
初めに言っておくと、村上春樹という作家は新作を発表するたびに大騒ぎされて前代未聞のベストセラーになるような作品を世に問う作家ではないと思っているし、『1Q84』、特に『BOOK3』辺りからの騒がれようには小説家がかわいそうにすら感じる。
ま、とにかく世間のそんな喧騒にはなるべく耳を塞ぎ、静かに、この静かな小説を読み終えた。

主人公の多崎つくるは題名にもあるように色彩を持たない。そして、『アフターダーク』より前の村上春樹の主人公、つまりは「一人称」の「僕」そのものであるように感じる。そして、驚くべきことに「僕」=「多崎つくる」はここで深く重い傷を負わされている。
村上春樹自身も語っているように、彼の小説家としてのアプローチは阪神淡路大震災とオウム真理教事件をきっかけに「デタッチメント」から「コミットメント」へと移行している。『1Q84』はそんな「コミットメント」の集大成としての総合小説、自身の創り出す物語そのものが社会=システムとなる脅威、それを知っていながら尚も物語を紡ぎ、個=卵が持つ愛の温もりを描いた作品として読んだ。
そして次作となるこの小説で、村上春樹はついに「僕」に深く、癒える事のない傷を負わせ、「個」とは傷つくものであり、傷ついた「個」同士こそが繋がることが出来ると言っている。そのためには「僕」を徹底的に(自殺を考えるほど)深く傷つけ、それを回復するための巡礼の旅に出させ、そして前へ進ませようとする。
この作品を読んでいてこれまでの村上作品を強く想起させるのは(それはきっと彼の一貫した世界観のせいもあるのだろうけれど)、作家自身が敢えて過去の作品をモチーフにした言い回しや描写を多用したからではないかとも思える。つまり、多崎つくる=村上春樹=(当然)僕であり、この作品は村上春樹が自分自身を傷つけ、自分自身の過去を巡礼したものとも言える。
そう考えるとこの静かで、(どちらかというと)控え目でパーソナルな小説は、村上春樹の大きな転換点となる可能性がある。
醒めた傍観者として世界からデタッチしてきた「僕」が、社会にコミットすることにより「システム」の脅威と「個」の愛と温もりを知り、そして深く傷いたからこそ得たコミットメントよりも一層強い「繋がり」。
その先に、何が見えているのだろう。早くも次作が楽しみになった。
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