Together Through Life

 

絶望の国の幸福な若者たち



古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』を読んだ。
26歳という自身も「若者」に属する社会学者による考察で、どう考えても日本の未来に明るい兆しはないけれどそれでも現代の若者は実は幸福なのではないか、との立場からスタートする。
前半は自身のフィールドワークや内閣府の統計をもとに、近代以降の「若者論」を見直す。その中で浮かび上がってくるのは「若者論」自体いつの時代においても中高年のご都合主義的なものだし、実際の「若者」の姿を捉えたものとは言い難いということ。また、世代間格差は無くなり世代内格差は大きく多様化した現代において、もはや「若者論」といった論自体意味を成さないということ。そして、先行きの見えない日本という国で現代を生きる若者は、実は本当にそれほど「不幸」ではないということ。
つまり、現時点での生活には満足している。でも、将来は不安。それは何も若者に限ったことではないのだろうけれど、これまで日本という国で育まれてきた多種多様な「インフラ」の上に、若者は中高年よりずっと器用に小さくまとまって自分なりの「幸福」を見つけながら日々を生きていけている。そういう意味では現代の日本は過去最強の「豊かさ」の中にあり、「若者」たちは小さなコミュニティの中で相互承認を受け与え、簡単便利(コンビニ、ファストフード、ファストファッション…)な幸せを享受する。でもそれは生まれたときから自分たちの足元にあるものであり、いつまでもこの小さな幸せで固められた地盤が続くのかは不安。
なるほど、現代日本を包む空気がよくまとめられ、納得する。
けれど、だったらその先はどうするべきなのか、そこが見えてこない。著者は「なんとなく幸せで、なんとなく不安、そんな時代を僕たちは生きていく」とまとめるのみで、そういった状態(それは「平和」ということだ)が続くしかないのであれば「日本」という国の存続にすらこだわらない。でも、その結論はあまりに投げやりで薄っぺらではないのかという印象を受ける。そういった意味での「平和」を知らない世代が築きあげてきた最強の「インフラ」の上で将来への不安はありながらもただぬくぬくと過ごし、戦争が始まれば逃げちゃえばいいし、それで「日本」がなくなってもどこかで「なんとなく幸せ」なまま暮らしていける、果たしてそんなことが可能なのだろうかと。
僕がすでに「若者」ではないからなのか、社会学という学問がデータや統計から現代社会の姿を捉えることのみに働きその先を提示することは範疇外なのか、読了後には何とも言えない曖昧な後味の悪さが残った。
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