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アメリカン・スナイパー

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クリント・イーストウッド監督『アメリカン・スナイパー』を観た。
アメリカの軍事史上最高のスナイパー、現役時代から「伝説」と呼ばれ、数えきれないくらいの勲章を得たクリス・カイルの自伝を映画化した戦争映画。だからこそ、イーストウッドはいつも以上に慎重に、丁寧にこの作品を創ったのだろうと想像する。
クリント・イーストウッドはこれまで監督として数多くの映画を世に送り出してきたが、ほとんど全てに共通すること、それが「アメリカを描く」ということだと思う。その切り口、側面は違えど『グラン・トリノ』も『ミリオンダラー・ベイビー』も『チェンジリング』も、『ジャージー・ボーイズ』だって描かれているのはアメリカだ。今作はその真骨頂の傑作ではないか。
アメリカという強い国の戦争を描くとき、イーストウッドはまず慎重に、それが単なるヒロイズムあるいは好戦プロパガンダ作品に陥らないように、丁寧に作業を進める。彼が描きたいのは戦争をする国アメリカに生きる人間であり、その闇だからだ。だからこそこの映画に音楽は皆無だ。どうしても劇を盛り上げてしまう(攻撃的にも悲劇的にも)音楽を取り外し、ただひたすらにクリス・カイル目線の物語を紡ぎ出す。その視線の捉えるもの、その心の闇、その気持ちの移り変わりの描き方は圧巻で、観客はクリス・カイルと一体化することを余儀なくされ、精神は疲弊し、苦しく、最終的には彼同様射殺され、何が起きたのかが一瞬分からなくなる。戦争とはつまりそういうことだ。
必要以上に好戦的になることも、反戦を謳うこともしない。ただひたすらに1人の戦士、兵士の視線を追うだけで、これほどまでに観客に訴えかけることが出来る。映画とは、つまりこういうことだと思う。
個人的に1つ腑に落ちたことがあった。(特に)日本における戦争映画/反戦映画には感動する自分の隣で、ずっと違和感を訴えている自分もいた。
たぶん(特に)日本の戦争映画/反戦映画は先の大戦の敗戦を取り上げ、「戦争とはこんなに悲惨なものなのだ」、「こんな惨めな思いはたくさんだ」、「こんな惨い仕打ちはもう2度とごめんだ」、「だから戦争なんて2度と起こしちゃいけない」と繰り返す。日本の場合どうしてもそうなってしまうのも分かるし、作り手が反戦の気持ちを本当に持っていることもわかる。けれど、その反戦の気持ちの発端が先の大戦での敗戦、「こんな惨めな思いはもうたくさんだ」であるとき、作り手の思いがどうであれ「勝ち戦であれば良い」、「悲惨な思いを味わわなければ良い」ことを退けられない。でもそうではないはずだ。戦争とはそもそも勝とうが負けようが、悲惨な思いをしようがしまいが、あってはならないもののはずだ。
その点『アメリカン・スナイパー』はアメリカの戦争を描く上で好戦的であることも反戦的であることも慎重に、徹底して避けている。過剰にヒロイックに描くことも過剰に感情に訴えることもなく、ただひらすらに淡々と戦争に関わる人間の心の炙り出す。音楽すら廃して。戦争映画は観客を感動させてはいけないのだ。
アメリカを語るとき、描くとき、戦争はそこから切り離せない。だからこれまで徹底してアメリカを見つめ続けてきたクリント・イーストウッドにとって『アメリカン・スナイパー』は必然であり、キャリアの現時点での集大成になり得ているのではないか。
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