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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

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アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の作品はとても好きで、だから『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』がアカデミー賞を受賞したときには嬉しいような、これで変にメジャーになってほしくないような複雑な気持ちになった。本当は劇場で観たかったのを観逃してしまったのでこの度レンタルで鑑賞。
同じ俳優が演技をするというエンターテインメントでも演劇と映画はまったくの別物だ。演劇は観客と対峙し、その空間を共有する。それに対して映画は緻密な構成の下何度も繰り返し取り直されて世に出る。どちらが「無知がもたらす予期せぬ奇跡」という素晴らしい瞬間を生み出すか。それが、その時、その場所にしかない特別な共有空間におけるある種のカタルシスを生み出すことのできる演劇であることは自明だ。
イニャリトゥ監督は映画においても「無知がもたらす予期せぬ奇跡」を起こすことを目指し、カメラを長回し風に演出し、ある種の約束事に基き、編集によって切り貼りされたハリウッド映画を批判する。
そしてそんなパターン化された映画の典型であるスーパーヒーロー物をターゲットに据え、映画人として映画と映画人を批判する。そこに「無知がもたらす予期せぬ奇跡」があるのか、と。
映画において「無知がもたらす予期せぬ奇跡」を起こすには、俳優の何度も繰り返された末に捻り出される「演技」は要らない。その俳優がただ画面に存在する。その結果としてもたらされる「予期せぬ奇跡」を期待して、イニャリトゥ監督は悩める元スーパーヒーロー「バードマン」=リーガン・トムソン役に、元「バットマン」=マイケル・キートンを置く。彼を取り巻く出演陣にも元「超人ハルク」=エドワード・ノートン、『キングコング』にも出演した遅咲きの女優ナオミ・ワッツを配置する。すでに実力派のベテラン俳優となった彼らの演技に、彼らのかつてを象徴するスーパーヒーローの影/陰をプラスアルファとして背後に漂わせることによって、その存在だけで「無知がもたらす予期せぬ奇跡」を起こそうと試みる。
結果、俳優は役としてではなく、人間として歩んできた人生を漂わせ、それが観ている者にも伝わり、イニャリトゥ監督の目論見は見事に成功しているのではないか。出演陣のそれは演技ではなく、彼らの人生の悲喜劇として浮かび上がって見える。
やっぱりタダモノじゃないイニャリトゥ監督。早くも次回作が楽しみ。
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