Together Through Life

 

33年後のなんとなく、クリスタル

91m-4VNiokL (339x500)

田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』読了。
前作同様、本文と対を成す膨大な註釈は健在で、しかも今回は本文自体も前作より長いし、註釈は本の最後に纏められているので読みにくいことこの上なかった。
33年前にバブルに向かって「なんとなく、」感満載で優雅な生活をしていた登場人物たちも50代。そこに今作では「ヤスオ」なる語り手「僕」が登場し、50代になった登場人物たちと邂逅し、ときには記憶の円盤を回してみたり、ときには当時の危惧を大きく上回る日本の惨状を嘆いてみたり、ときには高齢化社会の一員に組み込まれつつある自身たちの老後を語ってみたりする。
ただ、彼らクリスタル族は「ヤスオ」も含めて50代になった今もやはり「クリスタル族」なわけで、ペントハウスで女子会をしたり愛宕山の料亭「醍醐」で語り合ったり(キッスしたり)、深刻であるべき日本の現状や自身の老いについて、優雅にワイン片手に憂いたりするのだ。
そして、時折というかしょっちゅう暴走気味に本文でも註釈でも論じられる、「ヤスオ」=田中康夫がこの33年の間に経験した政治、ボランティアなどを通じて身に着けてきた著者自身の抑えきれない主張。
読んでいて、この作品のバランスに不思議な印象を覚える。今も昔も「クリスタル族」である彼らの、その暮らしや態度と話している内容との隔たり。50代になった「クリスタル族」を、「黄昏」のか弱い光の中でも「微力だけど無力じゃない」と良い大人になった「50代」として謙虚(風に)描こうとしながら、子供のように抑えきれない「ヤスオ」=田中康夫の自己主張。
このバランスが全て「ガラス張り」の田中康夫の『33年後のなんとなく、クリスタル』だとすれば、これは素晴らしい小説だ。「50代」だって成熟一辺倒ではないし、「クリスタル族」だっていつまでも社会でふわふわと生き続けているわけでもない。彼ら、彼女らはその両方を自身の中にあるバランスで保ちながら、今日を「50代」として生きている。「ヤスオ」も含めて。だから、「黄昏」に憂うこともあれば、その光に奮い立つこともある。
それが著者の意図であるなしに関わらず「ガラス張り」だからこそ、その絶妙のエッジとバランスを描き出すこと、読者に感じ取らせることに成功している見事な続編小説になっていると思う。
Comments

Body

« »

11 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
profile

telltell72

Author:telltell72
welcome!

archives
tweets
検索フォーム
counter