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騎士団長殺し

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村上春樹『騎士団長殺し』読了。
今回改めて感じたのが、村上春樹の読者は根気強くあらねばならない、ということ。
デタッチメントからコミットメントへと変遷したとはいえ、著者の作品は基本的に同じ構造を持つ。それは著者の小説を生み出す手法や作業が基本的に変わらず同じであり、それが頑ななまでに守られているから。なのでこれまでの作品の焼き直しといって投げ出す方が簡単ではあろうと思う。
でも、村上春樹はノロノロと歩みを進めてきた。確かに。
(長編としての)前作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は多崎つくる=村上春樹として彼自身を巡礼した作品だったが、今作でもまだそれは繰り返される。前作以上に村上春樹は過去のモチーフを多用し、もはや「村上春樹論」あるいは「メタ村上春樹」とも言えるくらいに自身を総括している。主人公「私」の行動など、『職業としての小説家』で語られている小説を書く作業とほとんどそのまま同じだ。
ただ、彼が今作で確かに歩みを進めたというのは、「僕」=「私」=「村上春樹」が「壁抜け」して辿り着いた場所が現実世界だったということ。そして、辿り着いた現実世界で「僕」=「私」=「村上春樹」はようやく父になるということ。たとえそれがイデアとしてであれ、メタファーとしてであれ。
今作の「壁抜け」はまるで産道を抜け出してくるような描写だし、抜け出てきた場所は「穴」だけれどそれは異世界へと向かう『ねじまき鳥クロニクル』の「壁抜け」とは正反対の方向に違いはない。
村上春樹の確固とした構造の上に生み出される物語は、歩みは遅くとも確かに進んでいる。だから彼の読者であり続けるにはとても根気が必要だ。
ただ村上春樹に残された時間は(鍛えられた身体はまだまだ元気だろうけれど)あまり多くはない。今作でようやく父になった「僕」=「私」=「村上春樹」が次作でもまた自身を総括することなど考えられないし、そんな時間的猶予もないだろう。ここまで来たらもう少し根気強く待ち、立ち上げられるはずの新たな地平を心待ちにしたい。

 

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