Together Through Life

 

ディア・ドクター



西川美和監督『ディア・ドクター』を観た。『ゆれる』もそうだったけれど、この監督は人間や社会のあらゆる相反する物事の狭間を描き出すのがとても巧い。その眼差しは奥深い本質にまで届き、ただ、作品では緻密な脚本と繊細な演出でさらりとそれを表現する。描き出したいことを丸ごと提示するのではなく、あくまでも社会の一部を切り取ってきたかのような作品に仕上げるので、観る方の心にはその前後を含めて複雑な余韻が残り、観賞後改めて考えることを強いられる。それがつまり西川美和の作家性なのだ。

かつて無医村だった山間の村で神様や仏様よりも祀り上げられる「先生」は医師免許のない「偽医者」だった。映画はその「先生」が突然失踪し、その後の刑事の捜査によって「先生」が実は「偽医者」であったことが暴かれていく過程が描かれる。「先生」が「先生」であったときの場面と、刑事による村人への聞き込みの場面が交互に配置され、観ている者は人間の持つ心の裏表と社会が抱えるあらゆる狭間を垣間見ることになる。

嘘と本当、罪と罰、正義と悪。あらゆる相反する物事は繋がっている。ただ、グレーに彩られた狭間があるだけだ。

「偽医者」が(最初は金目当てだったとしても)多くの高齢者にとってなくてはならない「先生」であったことは間違いない。自分の思っていた以上に崇められ神様以上の存在となってしまったことにより、自身の嘘の重さに押しつぶされそうになっていたことも。でも、「だから嘘だとしてもやったこと自体は良いことだったんですよ」という映画ではないことは、「先生」を笑福亭鶴瓶(笑顔でつぶれた目の奥に潜むナニかを秘める男)が演じていることからも窺える。

村長が生まれながらにして村長ではないのと同じく、医者も生まれながらにして医者なのではない。医者である証明は免許や資格で示されるのが本来だが、僻地では医者として診療所にやってきた先生は(初めて出会った何者かも分からない人物であったとしても)縋りつきたいほど大切な存在となり、一瞬にして全幅の信頼が置かれる。
人間は多かれ少なかれ何かの役割を演じて生きている。つまり、全てを「自分の人生」として生きているわけではない。だから、社会で生きることは苦しいのだ。
また、作中の香川照之の台詞「それは、愛じゃないですよね」によって、人間が思い合って社会を形成する原因は「愛」ばかりではないことも示され、孟子の言う性善説の存在もほのめかされる。ただ、監督はそれも断定はしないが。

巨大で複雑な共同体を作り上げた人間同士の関係性には様々な狭間が曖昧に存在し、善と悪は融合し、嘘と本当は垣根を失う。
だからこそ、自分にとっての本当を見つけなければならない。
ラストシーンで見せる八千草薫と笑福亭鶴瓶の笑顔がそれを象徴し、自問自答を繰り返し観てきた者にある程度の救いは差し伸べられる。
「先生」は偽物だったけれど、「先生」の中にある何かは本物だったのだ。
自身の「嘘」の重さに耐えかねて逃げ出したけれど、心通い合った者との約束からだけは逃げられなかったのだ。
グレーゾーンを突きつけられて恐れるばかりではなく、自分の人生における本当を僕たちは見つめなければならない。

余貴美子を初め出演陣すべての演技が素晴らしい。揺れる稲穂、もがく虫、シンクに捨てられたアイスクリーム、投げ出された白衣といった繊細で暗喩的な演出も見事。『ゆれる』からさらに進んだ、西川美和の傑作だと思う。

 

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