Together Through Life

 

ゲンロン0 観光客の哲学

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東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』読了。
「ゲンロン」は東浩紀が主催する会社の思想誌だが、この『0』は東の単著として発表された、彼の思想の「集大成にして新展開」になるという。
なるほど確かに『弱いつながり』で提示された「観光客」という概念がより発展的に、実践的に追求されている。
ここでも東浩紀は『一般意志2.0』同様、いったんルソーに立ち返る。つまり、人間はそもそも人間など好きではなく、社会など作りたくない。でも現実には社会を作る。つまり公共性を持つ。
そこから始まり、ヴォルテール、カント、シュミットを引き、ヘーゲルに展開する。人間はなぜ人間を好きでもないのに社会を作るのかという問いに対する解答として、ヘーゲルは、人間は家族と離れ、市民を経て国民になることで初めて精神的成熟に達する、人間の最高の義務は国家の構成員であることであると答えた。ただこの一定方向への単線的なパラダイムではもはや現代の世界は語れない。
著者は現代をナショナリズムとグローバリズムが二層化して混在する世界とし、ヘーゲル的回路とは別の回路として観光客=郵便的マルチチュード=誤配=憐みを提唱する。
ここですべて書くと結構大変なので省略するけれど、他にも色々と過去の哲学者やネットワーク理論なんかを駆使して掘り下げられる観光客の哲学へと迫る理路は圧巻で、知的探求心に満ちていて、読んでいる方も興奮させられる。
その後の第2部で観光客の哲学の課題として挙げられる第4のアイデンティティー候補として「家族」を(まだ荒削りながらも)提案するところも東浩紀らしく、またこういうところが個人的に共感できる部分でもあるんだけれど、一番腑に落ちるのはやはり最後のドフトエフスキー論ではないか。
僕としても昨今の安保法案やら森友学園やら加計学園やら共謀罪やらの問題で、国会の茶番、デモの無力さ、マスコミの薄っぺらさに辟易し、危うく無関心のニヒリスト=スタヴローギン=イワンになりかけていたところを救われた思いでいる。
不能の父であること。子として死ぬのではなく、親として生きること。
まだこの世界との接し方を具体的に掴めたわけじゃない。でもある種の姿勢は、態度は分かりかけてきた気がする。

 

みみずくは黄昏に飛びたつ

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川上未映子による村上春樹へのインタビュー『みみずくは黄昏に飛びたつ』がとても面白かった。
そう、作家同士、小説家同士ではあるが、これは対談ではなくあくまでも村上春樹のインタビュー。ただ川上未映子の立ち位置、言葉の選び方、鋭く切れ込む質問が抜群で、それはおそらく彼女が村上春樹の大ファンでもあり小説家でありフェミニストであることが大いに影響していると思う。
それに対して村上春樹はどこまでもぶれない。頑固という印象は抱かせないが、本当に一貫してぶれない。彼のスタンスは例えば『職業としての小説家』などで語られてはいるが、川上未映子がインタビューすることによって、これまで語られてきたものプラスアルファが引き出されている。
あとやっぱり村上春樹にとっては特に「若い後輩女性小説家」という立場である川上未映子だからこそ、例えばときどき「本当に?(笑)」などタメ口で話せたりして、そのことは随分とこのインタビューを面白くしているのに効果的だなぁと感じた。
そういった意味で村上春樹以上に川上未映子が目立つ、というか勝っちゃったというか、そんな印象も持てる作品。

 

ゴールドフィンチ

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ドナ・タート著、岡真知子訳『ゴールドフィンチ』全4巻読了。
第1巻の謎に満ちたアムステルダムのホテルでの主人公テオの描写からいったん物語はテオの13歳の頃に戻り、そこから始まるめくるめくビルドゥングスロマンが、最終巻のエキサイティングなクライマックスで謎は明かされ伏線が回収されるまで一気に読める壮大な物語。素晴らしい。
物事には必ず原因と結果がある。けれども善き行いが善き結果を生み、悪しき行いが悪しき結果を招くとは必ずしも限らない。だからこそ人は、物事は、芸術は人生と時間に翻弄され、さらにそこを通過することによってしか辿り着けない場所がある。
ミステリー要素も冒険要素も芸術要素も全て包括し、それらを巻き込み飲み込みながらグイグイと進む推進力溢れる物語。大満足の読書体験。

 

火花

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又吉直樹『火花』を、文庫版が出たタイミングで読んだ。
売れない芸人の日々を痛切に描く。文学臭や青春臭が過ぎる一歩手前で抑えられていて鼻白むこともなく読めるし、主要登場人物2人のやり切れない思い、胸の内が伝わってくる。ただやっぱり主人公は又吉に重なって見えてきてしまうけれど。
ただ(特に前半の)独特の句読点には戸惑ったし、10年という決して短くはない月日の重々しい(はずの)流れが感じられなかった。
2作目が先日発表されたし、少なくとも引き続き著者の小説は読んでいこうと思わせるくらいの魅力に満ちたデビュー作ではないかと思う。

 

騎士団長殺し

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村上春樹『騎士団長殺し』読了。
今回改めて感じたのが、村上春樹の読者は根気強くあらねばならない、ということ。
デタッチメントからコミットメントへと変遷したとはいえ、著者の作品は基本的に同じ構造を持つ。それは著者の小説を生み出す手法や作業が基本的に変わらず同じであり、それが頑ななまでに守られているから。なのでこれまでの作品の焼き直しといって投げ出す方が簡単ではあろうと思う。
でも、村上春樹はノロノロと歩みを進めてきた。確かに。
(長編としての)前作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は多崎つくる=村上春樹として彼自身を巡礼した作品だったが、今作でもまだそれは繰り返される。前作以上に村上春樹は過去のモチーフを多用し、もはや「村上春樹論」あるいは「メタ村上春樹」とも言えるくらいに自身を総括している。主人公「私」の行動など、『職業としての小説家』で語られている小説を書く作業とほとんどそのまま同じだ。
ただ、彼が今作で確かに歩みを進めたというのは、「僕」=「私」=「村上春樹」が「壁抜け」して辿り着いた場所が現実世界だったということ。そして、辿り着いた現実世界で「僕」=「私」=「村上春樹」はようやく父になるということ。たとえそれがイデアとしてであれ、メタファーとしてであれ。
今作の「壁抜け」はまるで産道を抜け出してくるような描写だし、抜け出てきた場所は「穴」だけれどそれは異世界へと向かう『ねじまき鳥クロニクル』の「壁抜け」とは正反対の方向に違いはない。
村上春樹の確固とした構造の上に生み出される物語は、歩みは遅くとも確かに進んでいる。だから彼の読者であり続けるにはとても根気が必要だ。
ただ村上春樹に残された時間は(鍛えられた身体はまだまだ元気だろうけれど)あまり多くはない。今作でようやく父になった「僕」=「私」=「村上春樹」が次作でもまた自身を総括することなど考えられないし、そんな時間的猶予もないだろう。ここまで来たらもう少し根気強く待ち、立ち上げられるはずの新たな地平を心待ちにしたい。

 

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