Together Through Life

 

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

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とても久しぶりに村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ。最初に読んだのが高校生のとき、大学時代にもう一回読んでいるはず。
やはり素晴らしい小説だった。硬質でいながらユーモアとウィットに富み、ワクワクする「ハードボイルド・ワンダーランド」、牧歌的で抒情的でありながら、寒さがヒリヒリとする「世界の終わり」。並行するそれぞれの世界観に心行くまで浸れるし、徐々に距離感が縮まる(でも交錯はしない)2つの世界の配置も素晴らしい。
それに、とても美しくて安定していて心穏やかになれる想像世界=「世界の終わり」は、だからとても危険でそちらに行ったらどんなに困難が立ちはだかろうと必ず戻らなければならないという作品を著者はたくさん書いてきたと思うんだけれど、この作品はそうじゃない。そういった意味で本作は著者にとってもすごく重要な作品になると思うし、他作品と比べて独特の立ち位置、雰囲気を醸し出しているのだと思う。
それにしてもなんと情景描写の素晴らしいことか。また最近の作品もそのうちに読み直すと思うけれど、今よりもずっと描写が美しくて深い印象だったなぁ。

 

地下室の手記

大人になってドストエフスキーの長編を読み直そう(あるいは初読もあるけれど)と思い立って早…。『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』と読んできて、ここで一旦『地下室の手記』を。

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彼の後期の大作群へと向かう、「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」とまで呼ばれる作品。そのためドストエフスキー研究においては様々な読解があるようだけれど、当然僕にはそんなことは出来ないので昔読んだときと今回との比較も含めた個人的感想を。
言ってみれば自意識超過剰で虚栄心の超高い40男が地下室に閉じこもり、世間や女性やリア充の友人やらを逆恨みして激昂するんだけれど、自意識のあまりの高さゆえにそんな自分を一歩引いて見て「可笑しすぎるだろ」とは自覚するものの、そんな自分を当然受け入れられず自分自身が引き裂かれるという。その演劇的(あるいは「朗読的」)とも見える主人公の自己完結の物語からは、それでもやはり「自意識」と「虚栄心」という、多かれ少なかれ誰もが持ってはいるけれど鬱陶しかったり面倒臭かったり恥ずかしかったり世間の目を気にしたりして目を背けがちな人間の本質に迫るものが突きつけられ、慄く。そのための過剰なのだろう。
20代で読んだ頃は慄きながらも、今よりもこの主人公に近い心情を持っていた(誰でも若いころは多かれ少なかれそうではないかな?)ためか、揺さぶられ、どこか共感して背中を押してくれるような気さえしたけれど、今読むとその過剰を突き抜けた喜劇振りと若かりし頃の自分の心情を少し笑って読めるくらいの心持にはなっていた。
さて、次は『未成年』の予定。少し間を置いて。

 

ジェノサイド

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知人に勧められ、高野和明『ジェノサイド』を読んだ。
医学、薬学、軍事など各分野に対する著者の博学や探求心は見事だし、それをホワイトハウス、戦場そして日本といった3カ所から描く手法もなかなか。エンターテインメント作品としてグイグイ読ませる(ただ後半はやっつけ感というか描写が大雑把にはなっていって残念)。だから、確かに各分野の細かい説明や著者の嗜好や思想が文学作品として素晴らしく形作られているかというとそうでもなくて、ただなんとか崩れずに踏ん張っている感は否めないけれど、この作品はもうグイグイ読んでそれでいいんだと思う。人類や地球の将来を憂う、例えば伊藤計劃の『虐殺器官』や『ハーモニー』なんかと比べると、やっぱり物足りなさ満開なので、うん、比較するべきものでもないのだろうな。

 

離陸



絲山秋子『離陸』読了。
ミステリアスな冒頭から惹きこまれ、主人公の転勤で舞台は水上、東京、パリ、八代へと移り変わり、舞台の変遷とともに時空すら超え、謎は謎を呼び不思議な世界が展開される。でも、ファンタジーでもミステリーでもなく、確かなリアリティを感じられるのは淡々とした主人公の性格にもよるのだろうけれど、謎が謎のまま放置されるからかも知れない。
人はみな離陸=死を待つ滑走路で順番待ちをしていて、それこそが人生なのだ。人生には不思議なことや哀しいこと、どうしようもないことがたくさん起こるけれど、その全てが解き明かされたり解決されたりするものではない。それぞれを経験することによって、あるいは乗り越えたり乗り越えられなかったりしながら、人は生きて=離陸を待って、孤独に向き合い、人のぬくもりを感じ、愛を知る。この物語はミステリーでも謎解きでもなく、ただただ1人の男の人生に寄り添ったものだ。だから、読み手の心に染み入る。
短編同様、やはり独特の空気が心地酔良い、素敵な長編。

 

フラニーとズーイ



J.D.サリンジャー著、村上春樹訳『フラニーとズーイ』を読んだ。
『ライ麦畑でつかまえて』は学生時代に読んで、その後大人になってから村上春樹訳で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み、ようやくその作品の魅力に触れられた。やはりサリンジャーは大人になってから(子供の時に読んだならもう一度)読むべき作家であり、特にこの『フラニーとズーイ』はなんか宗教臭いということを聞いて学生時代にも読んでいなかったので、今回読んでやはりこれは10代に読んでいてもピンとこなかっただろうなぁと感じる。
最初の「フラニー」の章はまだ読めるだろう。何かタダナラヌ雰囲気を醸し出しながらも、フラニーさながらにそれは抑えられ、ウォーミングアップとして「ズーイ」で加速する。それ、というのは美貌と才能を兼ね備えているが故に繊細に感じ取ってしまう人間の俗物性やエゴだ。感じ取りながらも抑えなければと思い、結果自身が宗教の危うい側面に陥ってしまう。「ズーイ」では兄が妹以上の才気と必要以上のユーモアでフラニーを救い出そうとする。
ほとんどが家の中での出来事であり、特に「ズーイ」の章は活発で難解な議論に終始する。確かに哲学的であり宗教臭くもあるけれど、それをぐいぐいと読ませるのが「あとがき」で訳者も触れている通り文体の力だと思う。もちろん原書は読んでいないけれど、村上春樹がその文体の力をなるべく損ねないように懸命に訳しているだろうことは伝わってくるし、村上訳も充分にその力を残している。
それにしてもサリンジャーは人間の根源にとことん迫る。少々宗教臭くはあっても、心の裏の裏まで見透かされているようで、人間が織りなす嘘や虚栄やエゴばかりの世界を、魂の部分からもう一度きちんと見つめ直して生きなければと思う。

 

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