Together Through Life

 

火花

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又吉直樹『火花』を、文庫版が出たタイミングで読んだ。
売れない芸人の日々を痛切に描く。文学臭や青春臭が過ぎる一歩手前で抑えられていて鼻白むこともなく読めるし、主要登場人物2人のやり切れない思い、胸の内が伝わってくる。ただやっぱり主人公は又吉に重なって見えてきてしまうけれど。
ただ(特に前半の)独特の句読点には戸惑ったし、10年という決して短くはない月日の重々しい(はずの)流れが感じられなかった。
2作目が先日発表されたし、少なくとも引き続き著者の小説は読んでいこうと思わせるくらいの魅力に満ちたデビュー作ではないかと思う。

 

騎士団長殺し

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村上春樹『騎士団長殺し』読了。
今回改めて感じたのが、村上春樹の読者は根気強くあらねばならない、ということ。
デタッチメントからコミットメントへと変遷したとはいえ、著者の作品は基本的に同じ構造を持つ。それは著者の小説を生み出す手法や作業が基本的に変わらず同じであり、それが頑ななまでに守られているから。なのでこれまでの作品の焼き直しといって投げ出す方が簡単ではあろうと思う。
でも、村上春樹はノロノロと歩みを進めてきた。確かに。
(長編としての)前作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は多崎つくる=村上春樹として彼自身を巡礼した作品だったが、今作でもまだそれは繰り返される。前作以上に村上春樹は過去のモチーフを多用し、もはや「村上春樹論」あるいは「メタ村上春樹」とも言えるくらいに自身を総括している。主人公「私」の行動など、『職業としての小説家』で語られている小説を書く作業とほとんどそのまま同じだ。
ただ、彼が今作で確かに歩みを進めたというのは、「僕」=「私」=「村上春樹」が「壁抜け」して辿り着いた場所が現実世界だったということ。そして、辿り着いた現実世界で「僕」=「私」=「村上春樹」はようやく父になるということ。たとえそれがイデアとしてであれ、メタファーとしてであれ。
今作の「壁抜け」はまるで産道を抜け出してくるような描写だし、抜け出てきた場所は「穴」だけれどそれは異世界へと向かう『ねじまき鳥クロニクル』の「壁抜け」とは正反対の方向に違いはない。
村上春樹の確固とした構造の上に生み出される物語は、歩みは遅くとも確かに進んでいる。だから彼の読者であり続けるにはとても根気が必要だ。
ただ村上春樹に残された時間は(鍛えられた身体はまだまだ元気だろうけれど)あまり多くはない。今作でようやく父になった「僕」=「私」=「村上春樹」が次作でもまた自身を総括することなど考えられないし、そんな時間的猶予もないだろう。ここまで来たらもう少し根気強く待ち、立ち上げられるはずの新たな地平を心待ちにしたい。

 

みかづき

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母が貸してくれた森絵都『みかづき』読了。
学習塾黎明期から約50年、教育を背景にした親子3代に渡る大河小説なので、467ページだけれどずいぶんとボリュームを感じる。
著者の教育への思いは溢れるが文体の軽快なタッチによってそれは決して押しつけがましくは感じられず、一つの家族の確執、結びつき、あらゆる困難を迎え飲まれ乗り越えつつ、一つになって転がり続ける姿が各時代ごとに主観を変えて描かれ、清々しいラストシーンまで楽しい読書だった。
小説はその非日常の度合いにもよるけれど、日常の中にもう一つの世界を生きさせてくれ、この作品に生きている間僕はとても気持ち良く過ごせた。そういう面でも素敵な作品。
あと個人的に僕は小学校受験から経験しているので、結構小さいころから塾通いをしていた。塾に通うのは嫌だったこともあったけれど、塾でしか出会えない友人も出来、楽しい思い出もたくさんある。その頃を思い出し、少々ノスタルジックにも耽った。

 

『野火』再読

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この間スコセッシの『沈黙-サイレンス-』を観る前にと遠藤周作『沈黙』を読み返したばかりでまだその映画も観にいけていないんだけど、今度は塚本晋也監督『野火』が観たくてその前にと、これまた四半世紀ぶりくらいに大岡昇平『野火』を本棚の奥から引っ張り出して再読。そしてまた圧倒的にぶっ飛ばされる。すごい。
描かれているのは極限状態、日常の目移りするあれやこれやを全て剥ぎ取られ、他者すらもお互いに自身の孤独へと追いやる存在になった剥き出しの人間の精神。それは冷静なのか錯乱しているのか、それすら分からない。人間として正常に生きているのか狂っているのか…。著者は圧倒的筆致で極限の精神状態に迫真し、その核を炙り出す。見えてくるのは、狂人か、神か。
『沈黙』といい『野火』といい、我ながら10代のころは深く激しい読書体験をしてきたんだなぁと思った。そして、こんなに苦しく重い小説なのに、この2作とも読むのが楽しいという逆説的な体験に驚いた。要はそれこそが名作ということなのだろうと思う。
でもさすがに重いのが続いたので、次はちょっと軽めの作品を読もう。

 

沈黙

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映画を観にいく前に本棚から遠藤周作『沈黙』を引っ張り出し、読む。前に読んだのは10代の頃だから、30年近く振りの再読。
キリスト教信者にはもちろん、そうではないすべての読者に人間の根源的な部分を問う、やはり傑作だった。信じること、疑うこと、そして救われること。人は誰もが己の持つ弱さのために苦悩し、それを克服するためにまた懊悩する。ロドリゴが踏絵に足をかけようとする瞬間には、やっぱり30年前と同じように涙が溢れ出た。
テーマ的にはもちろん、小説的技術としての素晴らしさには今回の再読で初めて気付いたかも知れない。擬似歴史資料的な「まえがき」と最後の「切支丹屋敷役人日記」ではその「資料」的な淡泊さで作品にリアリティを与え、まえがきの後に置かれた「セバスチャン・ロドリゴの書簡」で読者をロドリゴの視点に引きずり込み、その後の三人称で今度は読者を少し引かせて俯瞰的にロドリゴを、物語を観させる。このような変幻自在の距離感の操作は、著者に類稀な小説的技術の力量があってこそだろう。
さて、この素晴らしい傑作小説がスコセッシによってどんな映画になっているか。いつ観にいこうかな。

 

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