Together Through Life

 

フラニーとズーイ



J.D.サリンジャー著、村上春樹訳『フラニーとズーイ』を読んだ。
『ライ麦畑でつかまえて』は学生時代に読んで、その後大人になってから村上春樹訳で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み、ようやくその作品の魅力に触れられた。やはりサリンジャーは大人になってから(子供の時に読んだならもう一度)読むべき作家であり、特にこの『フラニーとズーイ』はなんか宗教臭いということを聞いて学生時代にも読んでいなかったので、今回読んでやはりこれは10代に読んでいてもピンとこなかっただろうなぁと感じる。
最初の「フラニー」の章はまだ読めるだろう。何かタダナラヌ雰囲気を醸し出しながらも、フラニーさながらにそれは抑えられ、ウォーミングアップとして「ズーイ」で加速する。それ、というのは美貌と才能を兼ね備えているが故に繊細に感じ取ってしまう人間の俗物性やエゴだ。感じ取りながらも抑えなければと思い、結果自身が宗教の危うい側面に陥ってしまう。「ズーイ」では兄が妹以上の才気と必要以上のユーモアでフラニーを救い出そうとする。
ほとんどが家の中での出来事であり、特に「ズーイ」の章は活発で難解な議論に終始する。確かに哲学的であり宗教臭くもあるけれど、それをぐいぐいと読ませるのが「あとがき」で訳者も触れている通り文体の力だと思う。もちろん原書は読んでいないけれど、村上春樹がその文体の力をなるべく損ねないように懸命に訳しているだろうことは伝わってくるし、村上訳も充分にその力を残している。
それにしてもサリンジャーは人間の根源にとことん迫る。少々宗教臭くはあっても、心の裏の裏まで見透かされているようで、人間が織りなす嘘や虚栄やエゴばかりの世界を、魂の部分からもう一度きちんと見つめ直して生きなければと思う。

 

卵を産めない郭公



ジョン・ニコルズ著、村上春樹訳『卵を産めない郭公』を読んだ。
舞台は1960年代前半のアメリカ、大学。長距離バスで出会ったジェリーとプーキー。その出会いから恋愛の盛り上がり、やがて訪れるすれ違いと別れを描いた所謂恋愛小説なんだけど、型破りで突拍子のない行動を繰り返すプーキーの魅力、瑞々しい翻訳で読ませる。いやぁ、こうまで躍動感に溢れ、登場人物が予想の範囲を軽々と超えて魅力的で、語り口が豊富で瑞々しい作品だと、まだまだ僕も恋愛作品読めるなぁ。
また60年代前半という舞台設定もまた絶妙(まぁ著者がその時代に書いたのだから意図したわけではないけれど)。50年代の抑圧と60年代後半のベトナム戦争、ヒッピー&ドラッグ文化の間という、ぶっとんだ学生時代だけれどドラッグは全く登場しないという(村上春樹と柴田元幸との対談でも触れられていたけれど)独特の空気を持った時代。その時代の空気が作品に独自の魅力を加味している。
新潮文庫の村上柴田翻訳堂シリーズでは他にも気になる作品が結構出ているので、これからも読んでいこう。

 

ボクたちはみんな大人になれなかった

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燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読んだ。なんだか話題になっていたし。イチローと同い年だという主人公は、だったら僕とも同い年だし。でも、駄目だったなぁ。
主人公が社会の底辺でもがいていた青春時代に「自分よりも好きになってしまった人」に思いがけずフェイスブックで友達申請してしまったところから、彼が過ごした青春時代を回想するという内容。同時代なのでその辺りは懐かしく読むことが出来たけれど、やっぱりこのようなセンチメンタルで過去の忘れ物を取りに行くだか傷を癒したいだとかあの時言えなかった言葉を言うとか、もうそういった類の話がすっかり駄目だ、僕。
この手の小説は結構話題になるのでついつい読んでしまうんだけれど、もう止めよう。

 

蜜蜂と遠雷

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恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読み終えた。上下2段、500ページの大作であり、直木賞と本屋大賞のダブル受賞という話題作。母が貸してくれた。
軽いながらも確かな筆致で、ピアノコンクールという結果が気になる舞台でもあり、読み手をグイグイと引っ張る。先に先にと読めてしまうのだけれど、個人的にはただそれだけの小説というか…。
著者がクラシックに造詣が深いことも分かるし、コンテスタントの演奏を一人一人の個性が見えるように書き分ける(何しろ天才が何人も出てくる)のはさぞ大変だったろうなと思う。けれど、ただそれだけに苦心したのだろうか、登場人物の描写自体には深みがなく、ピアノコンクールだというのにあまり緊迫感が伝わらない、というか天才たち自身に緊迫感がない。
恩田陸はやっぱり青洲群像劇とかよりももっと不気味で不思議な作品の方が好きだなぁ。

 

これで駄目なら

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カート・ヴォネガット、円城塔訳『これで駄目なら 若い君たちへ-卒業式講演集』を読んだ。
アメリカでは大学の卒業式に著名人を講演に招くことが多いらしく、中でもヴォネガットは人気だったらしい。確かに軽妙でどこかシニカルでありながらも温かみある語り口は、彼の小説同様心に沁み、これから社会へと巣立つ若者の心にしっかりと残るものだろうと思う。
ヴォネガットの語り口は確かにユーモアに溢れ毒っ気もあり、話もあちこちに飛ぶ。でも、確かにそこには真っ当な素直さ、現実を当たり前に見る誠実さがある。講演の初めか最初には必ず「君たちが大好きだ。心から」と言った言葉も口にされ、これから社会に巣立つ若者の背中を温かく押してくれる。
「これで駄目なら」という言葉はヴォネガットの叔父さんの言葉で、幸せに暮らしていながらそれに気付かずにいるということを避けるため、時には立ち止まって自身に問いかける言葉「これで駄目なら、どうしろって?"If this isn't nice, what is?"」から採っているらしいが、この言葉もいかにもヴォネガットらしく、僕も時には立ち止まって自分に問いかけてみよう、そんな人生にしようと思える。

 

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